在亜沖縄県人連合会レビュ−
沖縄県は160もの島で形成されており、台湾と中国大陸の間、日本列島の南に位置しています。
この島々より仕事を求め数多くの人たちが南アメリカへ移住をしました。
現在、南アメリカの沖縄県人コミュニティ−は、約300万人に上ります。
アルゼンチンの日本コミュニティ−には、約3万人であり、その70%から80%は沖縄県系です。
この地で生まれた沖縄県人の世代は今では3世、4世までにもなり、日系人社会へと統合し、様々なアルゼンチン日系機関に属しています。
そのなかでも在亜沖縄県人連合会はアルゼンチン全土の沖縄県系人により利用されています。
アルゼンチンには他にも沖縄県系の40近い組織、社会団体が存在し、首都ブエノスアイレス以外にコルドバ州、サンタフェ州にもあります。
沖縄県人連合会は5階建ての建物であり、各階の面積は3900平方メ−トルであり、設立は1991年、場所はブエノスアイレスの中心部にあります。
他にも、パルヶ レロイル(イテュザインゴ区)に3.5Haの運動場を保有しております。
全て会員、沖縄県政府、沖縄県コミュニティ−の多大な御協力によりしっかりと建設されています。
設立理念に基づき、多数の文化、社会、スポ-ツ活動を会員に提供し文化を広める為の活動を行いコミュニティ−全般に提供しています。他にも文化、日本語、芸術などの教室を開催しております。
社会機関としての広く知られているため、地域の学校、老人センタ−などに900人収容可能なサロンを提供し学芸会など利用されております。さらにパルケレロイルにある運動場ではイトゥザインゴ役場と契約を交わし夏の間高齢者の為のレクリエ−ションが行われております。
1967年.沖縄県が年度ごとに留学制度を設け、アルゼンチンに住む県系人に文化、テクノロジ−、日本社会や多数の専門分野の懸け橋となり、日系社会に貢献できる人材を育てるため、各市町村から多数参加者が立候補をした。
1971年.沖縄プロ・グリ−ンキャンペーンに際しラパチョ樹の種が沖縄に贈られた。
在亜沖縄県人連合会は設立20周年記念事業として沖縄相撲国際ト−ナメント、陸上競技フェスティバルを開催した。
1974年.アルゼンチン移住20年間の歴史のガイドブックが作成された。
在亜沖縄県人連合会創立35周年記念祝賀会が催され、西銘順次県知事の協力の下沖縄県より随行員、各市町村代表者いやこれをきっかけにアルゼンチンに移住をした家族に逢いに多くの方が参加をした。
1988年.現在の連合会ビル(サンフアン街2651番)に石碑が設けられ、翌年沖縄県アルゼンチン移住80周年記念式典が開催され、沖縄県知事および随行員が参加をした。
1990年.在亜沖縄県人連合会設立40周年記念式典を開催(新会館にて)仲井眞弘多沖縄県副知事及び随行員が参加をした。他にも移住80周年記念史が作られた。
連合会のインスタンスにより、社会科学大学(UCES)と名桜大学の間で交換留学制度の契約が交わされた。
1998年.沖縄県人アルゼンチン移住90周年記念式典が開催され、東門 美津子沖縄県副知事が参加をした。5月大通りで盛大な記念パレ-ドには沖縄より琉球國祭り太鼓グル−プが参加をした。
2001年.沖縄県人連合会創立50周年記念式典が行われ、稲峰恵一沖縄県知事、伊良嶺幸吉商工会議所会長など沖縄県より様々な方が参加をした。
2003年.沖縄県人アルゼンチン移住95周年記念式典が開催され、稲峰恵一沖縄県知事
、高良まさひこ商工会議所副会長らが参加をした。
2004年.第8回 WUBインタ-ナショナル国際会議がブエノス.アイレスで開催され海外から100名以上もの方が出席をした。
2008年.この一年を通して、沖縄県人アルゼンチン移住100周年が盛大に祝い様々なイベントいや祝賀会が催された。5月大通りパレ-ドには1200人が参加出演をしおよそ4万人もの観客がパレ-ドを楽しんだ。
会長 副会長 幹部 副幹部 会計 副会計 |
瀬底ギジェルモ 宮城エルネスト 松本カリナ 池原ロベルト 伊良波ファビアン 新垣ホルヘ |
コースとワークショップ沖縄県人連合会 2016
Cultura Japonesa 日本語
文化刺繍
墨絵
生け花
折り紙
書道 Artes Marciales 空手と坐禅
合気道
柔道
剣道
相撲
Gimnasia y Salud 太極拳
ヨガ - ピラティス
エスフェロヂナミア
レイキ
高齢者におすすめの体操 Danza y Canto タンゴ